「ゆうゆうの里」発祥の地「浜松ゆうゆうの里」は、広大な三方原台地の西端に自然の恵みや住まう人々の心意気に支えられて創立四十五周年を迎えました。
その台地の正北端に一辺一キロメートルの正方形の村「白昭」という村があります。この村は戦前、「王道楽土・五族協和」を夢見て満州に渡って行った人たちが、引き上げ後「満州開拓の夢を三方原で」と不毛の荒野を開拓してできた村なのです。
日本の敗戦が色濃くなった昭和二十年八月、ソ連の侵攻によって全ての財産を開拓村に残して満州の荒野をさ迷い続け、引き揚げてきたことを覚えている方々の記憶を私は乞われて綴ることを始めました。
写真も記録も何も残されていません。成人男性は軍隊に召集されたので、十代の少年に銃を持たせて、一団を警護させて逃避行をしてきました。
〈夜通しの逃避行で朝を迎えた〉
〈ランプの下で食事〉
その少年たちが八十代を迎え、当時の状況をつぶさに語り始めました。幼い日の強烈な記憶は鮮明であり、記録された文字よりもドキュメンタリー性に富んでおります。
この秋には挿絵がふんだんに入った百頁近い「都田白昭満州開拓村物語」が発行できる予定です。
ソ連軍が間近に迫り、集団自決を図ろうとした村の運命を救ったのは、ゆうゆうの里の創始者長谷川保翁と共に聖隷保養農園の設立に尽力した大野篁二先生でした。迫りくるソ連軍を前に五百人の村人を勇気づけての逃避行、新京での抑留生活を心身ともに励まし続け、三方原の一画に開拓地を確保したのです。そうした人々のレジリエンス(逆境を生き抜く力)が浜松には脈々と息づいていることに気付きました。
私達夫婦が余生を託す「浜松ゆうゆう里」と白昭開拓村が聖隷福祉事業団を通じてつながることの奇遇に気付いたところ、四十五周年記念誌「悠友」で満州での生活を体験された方を三人も知り、嬉しく思いました。
入居者 S
三方原の歴史の片鱗を
知ることができました
ありがとうございます。