瓦礫は市街地ではほとんどが撤去され更地が広がっている光景は、阪神淡路大震災から半年から数年近くが経過した頃の神戸の風景に非常に似ていると感じました。
被災地に初めて入るとその景色に圧倒されるとほとんどの隊の報告にありましたが、神戸の被災地を見てきたせいか、更地になった被災地の姿はそれほど大きなショックはありませんでした。
ただ大きな違いは更地にすぐにビルや鉄道、道路の建設が始まっていた神戸と違い、建設計画が何も決まっておらず、復興建設に向けた街の姿が見られない事でした。
海が目の前に迫り、高台はすべての山の地形や、陸前高田のように更地に海水が溜まった沼のような状態になっている箇所もあり、ここにどのような復興ビジョンを描いて街の建設が始まるのか、何も決まっておらず重機の音は瓦礫撤去だけという神戸の震災からの復興の姿と大きく異なる風景がそこにありました。
津波で町長以下役場の多くの職員が被災されリーダー不在で走ってきた5か月の月日、ようやく復興の旗振り役を決める町長選挙が告示された週に大槌での支援活動を開始しました。
大槌の避難所はすべて閉鎖され、仮設での生活がスタートしており、新しいリーダーの誕生なくしては復興ビジョンが語れない状態でした。
リーダーである町長を津波で失い、役場の重責を担って生きたベテラン職員も多く被災し機能を一時失っていた役場、そんな役場も確実に復興していると感じました。
町長選挙を前に街は活気が戻りつつあるように感じたのです。夢を託す事が見えた時、人の思いは絶望から希望へと変わると聞いたことがありますが、まさしく大槌町が希望に変わり始めている段階だったのではないでしょうか。
避難所が閉鎖され、入浴支援のニーズが終了したいま、自分達で復興していく道しるべが出来つつある状態をどう支援していくのか、財団の支援活動も難しい時期にきていると感じます。
社協に帯同してのニーズ聞きとりから生まれる新しい支援の形が、自分達で作り上げていく街作りにつながればそれが一番の復興につながると思います。
ただ、こうした小さな復興の芽と、まだまだ失業給付をもらっているので働かない雇用の問題などが見え隠れしており、町長選挙、町議会選挙の終わった今週から大きく動き始めると思います。
今回はニーズが変化する難しい時期に被災地に行かせていただき、被災地の抱える様々な問題を垣間見ることができた事、とても感謝しております。
現地にいるとまだまだ復興に向けてお手伝いをしたい気持ちが強くありますが、今回の支援を通して得た貴重な体験を元に今後に生かしていきたいと強く思います。
また被災地の復興していく姿を私たちは何年経っても忘れずに、見届けていきたいと思います。
神戸ゆうゆうの里 施設長 大野 茂弘
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