湯河原の歴史に触れる(土肥会・開運出陣祭)

湯河原は鎌倉時代の武将、土肥実平の菩提寺「城願寺」がある。

今回、湯河原土肥会・出陣842年記念

「源頼朝・土肥実平 第6回開運出陣祭」が同寺で行われた。平家琵琶の

演奏もあると聞き興味を惹かれ参加した。

図1-20220823.png

 

城願寺は湯河原駅より山側の中腹に位置する。道も細く、里の車で送迎

してもらい助かった。枇杷演奏会場の本堂に入ると冷房が効いている。

並んだ椅子には真ん中のいい場所に「ゆうゆうの里」の席名が人数分

(16名)貼ってあり、土肥会と里の職員の心配りに感謝。

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土肥会の深澤会長、城願寺山本ご住職、来賓の富田町長の挨拶後、

第一部は「琵琶法師が語る源平合戦」平曲弾き語り演奏 荒尾 努氏

図3-20220823.png

曲名は「祇園精舎」「敦盛最期」「那須与一」琵琶の音が心に響きます。

奏者の荒井氏から平家琵琶の成り立ちや歴史、自身がその魅力に引き込

まれた経緯などを話され、200曲近い曲の中から特に有名な曲を歴史の時代

背景や曲に込められた思いとともに弾き語り、人を想う気持ちや日本語の

美しさ、儚さへの美意識など、日本人の美徳とする感性に触れることがで

きた。

平家琵琶というとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の名作『怪談』の

中で「耳なし芳一」が平家の亡霊たちの前で演奏した『平家物語』の詩章

に節をつけて、枇杷の演奏で歌う「平曲」と呼ばれるものを思い浮かべる

が多いと思われる。今回第2部の「焼亡の舞」がコロナ禍のため、中止と

なった代わりに演奏の最後にこの「耳なし芳一」が平家の亡霊たちの前

演奏した『平家物語』のクライマックスを特別に弾き語りしてくだ

さり琵琶を堪能した。

第3部は史跡見学。土肥会の方の案内で少人数に分かれて行った。

土肥実平・遠平 像 本堂の奥、普段は檀家の方しか入ることが出来ない位牌堂にある。今回特別に拝見させてもらう。高さ50㎝弱のヒノキ寄木造り、黒光りして威厳を放っている。

土肥一族の墓所 六十六基の墓石があり、重層塔や塔身が球形をした

   五輪塔など各種の墓型が一墓所にあるのはめずらしい。

◎  びゃくしん(柏槙)まだ、城願寺が土肥実平の持仏堂だったころ土肥

   実平の手植えの木と言われる。樹齢800年の巨木。

図5-20220823-1.jpg

七騎堂 昭和49年4月6日に完成。収められている像は七体(源頼朝と

   安達盛長・岡崎義実・新開忠氏・土屋宗遠・土肥実平・田代信綱)

※伊豆に流された源頼朝は20年後、源氏再興の旗挙げをしたが、石橋山の戦いで敗れ、山中の大杉の洞穴や洞窟に身を隠し、房州に落ち延びた。この時同船したのが頼朝以下主従七騎であったので、世にこれを頼朝七騎落と呼んでいる。その後、頼朝の旗挙げによって平家が滅び、武家政治の時代が開かれた。七騎の一人、土肥郷(湯河原)を領していた土肥次郎実平を含め、七武者の像を刻み、土肥氏の城願寺境内に建立した。

 図4-20220823-3.jpg

今日は湯河原の歴史に触れる充実した一日となった。

【 入居者 H  .  S  】

写真提供 湯河原さいとうスタジオ

 

 

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