ワイフから聞いたおやじの仕事

  11月3日、文化の日は親父の命日です。親父は白寿で永眠しました。
親父は徳島の出身で昭和初期に大阪に出て三井物産の子会社で繊維機械の商社に就職、その後独立して社員5人の繊維機械商社を立ち上げて現在の関空に近い大阪の泉南に多くあった毛布やタオルのメーカの中小企業と取引をしていました。家電ブームの時代にはお得意先の従業員女子寮に必須となり始めたテレビ等の家電商品も取り扱い品目に加えナショナル商品の二次店もしていました。
親父の晩年は自宅で療養を続けていましたので家ではワイフが介護をしていました。私は未だ現役の時代でしたので昼間は会社で仕事、時には海外出張もしていましたので親父が自宅から電話で会社に指示を与えて居た内容は全く知りませんでした。
  さて、以下はワイフが語ってくれた私の知らない思い出話です。
  或る日、親父が病床ベッドから支払い手形の期日について"A社、B社、は3か月、C社は経営が苦しいらしいから現金支払い"というように細かく指示をしていたそうです。ワイフは具体的内容について全く分からなかったそうですが病床から具体的に細かく指示していた記憶力と相手によって温情的な支払いサイトを決めている商魂に感動したそうです。
  命日に当たり供養に日記を書きました。良い機会なのでこの内容を私の兄弟や孫たちにもメールで送ったのですが当然のことながら孫たちには支払い手形など商談の事は理解できなかったとのこと、幸い里の読者の皆さんならご理解を頂けると考えて投稿させて頂きました。ご高覧願えれば幸いです。
私は執筆が趣味で中学生時代からガリ版刷りの学校新聞に投稿していました。里で開催中の百人展に自費出版図書を出品しました。 自費出版図書.jpg

  来年は8回目の干支に当たりますので学校や職場の同窓会誌編集者から新年の抱負を求められ「83歳の挑戦」を書きました。

(入居者S・T)

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