本町が「もとまち」と呼ばれるのは、もともと、佐倉が徳川政権の手に移る以前に開発された場所であることに由来するが、後に佐倉の中心地が西に移動するに伴い、本町はその繁栄を新町に譲った。交差点には現在も商店らしいものは特に見当たらない。
交差点の大通りを南に向かい、順天堂ゆかりの空閑地を経て、クロネコヤマトの拠点を通り過ぎると、やがて道路は下り坂になる。
そのまま行けば国道296号線と交差することになるので、里に帰るには、下図の右手前にある西に向かう道路へ右折する。
右折するとすぐに人家は途切れ、道路の左側は畑や変電所その他、右側は、農協関係が占める広大な敷地になっているが、この敷地は外部からは全く人気がない場所に見える。
変電所を過ぎたあたりには畑が広がっていて、農閑期の今は赤褐色の土がむき出しになっている。関東人にとっては関東ローム層の色はお馴染みの色であっても、黒い土を見慣れた関西出身者にとっては珍しく、最初に赤褐色の畑を目にした時には、はるばる異郷に来たという思いさえした。
さて、西進するこの農協道は、北から延びてくる道路(後述)に出会った所で途切れるが、十字路を経て再び新しい道路となりそのまま里の東側を巡って走る。
(入居者 コミュニティ特派員U)
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