「ゆうゆうの里」住人による麻賀多神社初詣ウォーキングが1月8日実施されましたたが、それを手本に単独で、1月某日、ゆうゆうの里を出、城下町佐倉の中枢部分であった新町筋を見物しながら麻賀多神社まで往復してみました。
☆里を後に振り返ると、里の東半分をとり巻く桜、欅などがすっかり葉を落とした今は、冬の日差しをうけて、4号館は勿論、3号館まで明確に目に入りました。
☆江戸期の「佐倉新町」は、西から東へ「横町、上町、二番町、仲町、肴町、間ノ町」の6町で構成されていました。現在の「生そば川瀬屋」周辺の「間ノ町」を西へ進み、鉤の手の道路を曲がった一帯が「肴町」です。道路左手には、秋祭りの山車の一部を壁にはめ込んで「肴町山車飾」と銘打った珍しい民家があります。
こうした古い町名は大正の終わり頃まで小字として公式に使われていたようですが、現在でも通称や、祭りの山車の名、そして道路標識に残っています。例えば、新町郵便局横にある鉄柱の標識には、「肴町」の文字があり、今ではその痕跡すらありませんが、当時は魚を扱う商人が集まった場所であることが分ります。
☆郵便局前を再び鉤の手に左折して進み、右側のコンビニ店ローソンの手前に来ると、目立った古民家一屋に出くわします。現在は観光案内の情報館になっていますが、明治20年代に建てられたまま、時を経て今に残った呉服商「駿河屋」の建物です。案内版によると、この場所は江戸時代の旅籠「油屋」の跡地でもあり、長州藩士桂小五郎なども投宿したと記されています。
☆更に歩を進めると、里バスが京成佐倉駅に向かって右折する地点の左手に一棟の瀟洒な洋館があることに気付きます。佐倉市美術館入り口ですが、ここは大正年間に建てられた川崎銀行に始まり、昭和12年以降は佐倉町役場から佐倉市役所、次いで公民館、図書館、資料館の役目を経て現在の市立美術館に至った由緒ある建造物です。
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